【”友達が一人”は誤解?】a friend of mineとmy friendの意味の違い

冠詞

 

a friend of mineとmy friendの違いを取り上げてみたいと思います。

 

「my friendは友達が一人しかいないことを指す!」という説明は、聞いたことがあるでしょうか?

 

 

実はコレ、半分ホントで半分ウソなのです。

 

 

どうして??

 

 

 

詳しい説明を一緒に見ていきましょう!

 

a friend of mineは「不特定の中の一人」、my friendは「特定の一人」を意味する

結論から言うと、a friend of mineとmy friendの違いは下記の通りです。

 

a friend of mineとmy friendの違い
  • a friend of mine: 不特定の中の誰かひとり ≒a
  • my friend: 特定の一人 ≒the

⇒文脈上my friendが特定できる場合は「一人の」という意味にはならない
⇒文脈上my friendが特定できない場合は「一人の」という意味になりうる

 

 

どういうこと?

 

それぞれの表現を順番にチェックしていきましょう。

 

a friend of mineとmy friendの意味の違いの例文

a friend of mineとmy friendの意味の違いを例文付きで具体的に見ていきましょう。

 

a friend of mine

まずはa friend of mineからです。

 

これは次のように分解するとわかりやすいです。

  • a friend: ある一人の友達 (=不特定の誰か)
  • of: ~の中の*
  • mine: 私のモノ (=私の友達)

 

* 前置詞ofの詳しいイメージは、過去記事にて紹介しています。

【本質から理解!】前置詞ofのイメージとは

 

 

 

全てを合わせると、「私のモノの中の、ある一人の友達」となりますね。

 

つまり、「複数いる中から、一人の友達を適当に取り出したイメージ」です。

 

 

 

「ある一人」「適当に」という点を先ほどから赤字で強調している通り、この友達は「不特定の誰か」というイメージです。

 

「特定の誰か」を思い浮かべているわけではありません。不定冠詞aに近いイメージです。

 

 

次の例文では、「不特定の誰か」というニュアンスで、a friend of mineが使われていることを確認してくださいね。

I sad to him, “A friend of mine visited me yesterday.”

(私は彼に、「昨日、友達が私を訪ねてきたんだ」と言った)

 

my friend

次はmy friendです。

 

これは下記の通りです。「特定の」という意味が含まれる点に注目です。

  • my: 私の (=特定の誰か)
  • friend: 友達

 

 

具体的/特定の友達を一人指しているイメージ」です。

 

 

 

my friendは、文脈上「その友達が誰なのか」がハッキリしている場合に使われます。

「匿名の誰か」ではなく、名前や形などがある程度具体的にイメージできる「友達」です。

(図のパンチパーマは、他の人とは違い、具体的な姿かたちを持っていることを強調しています…)

 

定冠詞theに近いイメージですね。

 

 

次の例文では、「特定の誰か」というニュアンスでmy friendが使われていることを確認してくださいね。

I sad to him, “This is Emi. She is my friend. ”

(私は彼に、「こちらはエミ。彼女は私の友達なんだ」と言った。)

 

「my friend = 友達が一人しかいない」という誤解

ひょっとしたら、「my friend = 友達が一人しかいない」という説明を聞いたことがあるかもしれません。

 

これは半分ウソで、半分ホントです。

 

 

結論から言うと、

  • 文脈上my friendが特定できる場合「一人の」という意味にはならない
  • 文脈上my friendが特定できない場合「一人の」という意味になりうる

です。

 

 

どういうこと?

 

 

 

まずは「ウソ」の場合、つまりは「一人の」という意味にならない場合から見てみましょう。

 

これは先ほどの例文ですが、「友達が一人しかいない」という意味では使われていませんね。単に文脈上「特定の友達」に言及しているので、my friendとしているだけです。

 

「友達が一人しかいない」と言っているわけではありません。

I sad to him, “This is Emi. She is my friend. ”

(私は彼に、「こちらはエミ。彼女は私の友達なんだ」と言った。)

 

 

 

一方、「ホント」の場合、つまりは「一人の」になり得る場合はコチラです。

I sad to him, “My friend visited me yesterday. ”

(私は彼に、「私の友達が昨日私を訪ねてきた」と言った。)

 

 

「私」が「彼」に話しかけているわけですが、話の頭からいきなり「私のその特定の友達は~」と言ってしまっているわけです。

 

意味的には、my friendとthe friendが近いという話を思い出してください。

 

 

theは、話し相手が「ああ、アレのことね」と了解している場合に使うものですね。

 

 

つまり、いきなりtheをつけて話をされても、「彼」としては「???」なのです。

 

「その友達って誰?」

「わからないんだけど…」

 

 

そんな風に悩んだのち、話し相手の「彼」はこんな結論に至るのです。

 

「あ、コイツ友達一人しかいないんだ!」

「だからmy (the)を付けて話しているんだ!」

 

 

そうです。

 

theには、

「the sunやthe earthなど、この世で唯一の存在には文脈など関係なくtheを付ける」

というルールが存在するのです。

 

 

話し相手の「彼」としては、

  1. my (the)を付けて話をされているけど、friendが誰なのか文脈上特定できない…
  2. 唯一の存在だからmy (the)を付けているのかな?
  3. コイツ、友達が一人しかいないんだ!

と推測することになるのです。

 

 

ただ、「友達が一人しかいない」というのはあまり一般的ではありません。

 

話し相手がよほどイジワル/かなり特殊なケースを除き、いきなりmy friendを使った場合も、「a friend of mineのことかな」と話し相手は解釈してくれることと思います。(多少変な印象を与えはするでしょうが)

 

おわりに

いかがでしたか? というわけで以上、a friend of mineとmy friendの違いでした。

 

表面的な意味だけではなく、

「a (不特定)とthe (特定)の違いなのだ」

と本質的な違いを理解出来ると良いですね!

 

 

なお、冠詞についてさらに詳しく学びたい方には、aとtheの底力 — 冠詞で見えるネイティブスピーカーの世界がおススメです。

 

わたしが今まで読んだ冠詞系の本の中で、一番わかりやすい&本質に迫った説明がなされていると感じました。一般の書店にはあまりないのですが、ぜひ一度お読みすることをおススメします。

 

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